『鳥かごの中のほおじろ』

あらすじ

えさにつられて、人間の罠にはまり、鳥かごの中に捕われた一羽のほおじろ。
食べ物と水を与えられる代わりに、歌を歌うことを強いられた。
ほおじろは毎日、望まれるままに歌ったのだが、もう、疲れてしまった。
お腹がすいても、のどが乾いても、自由でいたい、と思った。
ほおじろは、そばを通った、がちょう、しか、牛、とかげに、自分がいかに辛いか、ということを訴え、助けてくれるよう頼んだ:
「きみの力で、この鳥かごの鍵を開けておくれよ!」  
でも、動物たちは、自分の目的地に向かって鳥かごから離れていくだけ。 そんな時、2羽のほおじろが、鳥かごの近くにやってきた。鳥かごの中のほおじろは、同じように自分の窮状を訴えた。
けれども2羽のほおじろは、こう言った:
「僕たちは、もう行かなきゃならない。きみは自分自身で、自由になる方法を探すんだ。僕はかごの中にいたことがあるけど、かごの柵って開くものなんだよ。」  
2羽のほおじろが飛び去った後、鳥かごの中のほおじろは思った:
「僕はここに来てから、何度朝を迎えたのだろう。今頃僕は、山にいなければならないのに、ここで何をやっているのだろう。生き物というのは、他人を助けたりなんかしない。同情するくらいが精一杯。誰でもみんな自分のことに頭を悩ましてる。だから僕は、自分で僕自身のことを考えなくちゃいけないんだ。」
堅い意志を持ったほおじろは、今まで感じたことのない力を自分の中に感じながら、頭を柵の間から外に出した。

柵は、ゆっくりゆっくり、広がっていった。


雑感
by yume

大きな「ほおじろ」の瞳が印象的な表紙の絵です。
よく、本が呼んでいるとか、ジャヶ買いとか内容が分からなくてもインスピレーションでビッビッとくることってありますよね。この絵本も全体的にトーンの暗い絵なのですが、表紙をを目にした時からこれは好きだぞと、確信。
しかし、今回これを書くにあたって、アイコウさんに、「ほら、yumeの好きだっていってた鳥かごのやつは?」なんて言われても、ピ〜ンとすぐには内容を思い出せませんでした。絵は浮かぶのですがねぇ…
そして、再度あらすじを読み始めると、ぐいぐいと強く引き込まれました。

小さくて、かわいらしい声を持つ「ほうじろ」 。
鳥かごの中でえさを充分に与えられる代わりに強制的に歌わされる事に疲れてしまった「ほおじろ」は 自分の力で生きる「自由」を求める為に、かごの側を通る動物達に 「君の力で、この鳥かご のカギを開けてくれ!」と、訴えます。
しかし、誰もが目的地に向かって離れていくだけで、カギを開けてはくれませんでした。

「ほおじろ」は、きっとこのかごの中から出れれば、すべての自由が目の前に広がると信じ込んでいたのでしょう。
そして、このかごも、誰かが出してくれなければ、出れないものだと思い込んでいました。
こんな「ほおじろ」の心境と、だんだんと自分自身の今置かれている…いや、自分で自ら置いている現状への思いとを思わず重ねて読み進めてしまいます。
「どうして、だれも助けてくれないのだろう…?」

ある時、同じようにかごの中に昔いたという2匹のほおじろに「君は自分自身で、自由になる方法を探すんだ。」と、言われたことにより、かごの中の「ほおじろ」は悟ります。
「僕はここに来てから、何度朝を迎えたのだろう。今頃僕は、山にいなければならないのにここで何をやっているのだろう?生き物というのは、他人を助けたりなんかしない。同情するぐらいが精一杯。誰でもみんな自分のことに頭を悩ましている。 だから僕は、自分で自分のことを考えなくちゃいけないんだ。」

なんだが、ぐさりとくるような強い言葉です。
ペルシャ語には、日本語のように大人に向けての言葉、子供に向けての易しくした言葉の表現という隔たりがないとききました。 そのものの持つ言葉の強さが訳文からも伝わります。
しかも、かわいらしく、か弱く感じるような小さな「ほおじろ」が題材なだけにその「自由」を希求する気持ちの対比がより強く感じられます。
そして、説教じみた言い回しに ならずに絵本という中に力強い前向きなメッセージを残しています。
「誰か」を頼るのではなく、「誰」かが手助けをしてくれないのも当たり前のことだと。
一歩を自ら踏み出すこと。
それが、「自由」という大河に流されず享受する第一歩であるということを伝えています。
「自由」は与えられるものではなく、自ら得ていくもの。
強い自己意識を持ってしまった者にはそこにしか「自由」というものはないのかも知れませんね。

「柵はゆっくりゆっくり広がっていった」と、いう訳の表現は、とてもイメージが広がる訳だなぁと感心しました。
ぐいぐいと自分の力で、そのと隔てていた柵 を開けていくと目の前にまさに「自由の世界」 広がってゆく 様子が、さまざまと伝わります。柵から外の世界の隔たりが溶けてゆくような感じを受けます。

それにしても本や、絵本というものの中には、その時その時に手にした自分自身と照らし合わせて惹き込まれてしまう内容のものがありおもしろく感じます。
もちろん、今現在の自分自身を、その世界に惹き込んで忘れさせてくれるものもありますね!
いろんな魅力がありますが、イランの絵本には、こういった少し強くてシニカルな面 を持ったものが多くあるように感じます。(そんな絵本を選んでいるのでしょうね…)

 

Copyright(c) salamx2., 2006 All Rights Reserved.